写真裏面に昭和10年1月「贈呈 化学時報社」と記載あり。 丹精して育てたご自慢のサボテン。庭には温室もあった。
小石川区林町57番地の自宅は大正14年10月落成。鉄筋コンクリート造りの2階建ての洋館でひときわ目立っていたと聞く。 地下室もあり円筒形で攪拌式で手廻しの絞り機付きの電気洗濯機が置かれていた。 スチームの暖房設備が整っていて1階は靴のまま上り、2階の和室は脱ぐという生活であった。東芝製の電気冷蔵庫は大変珍しく内臓モーターの音が余りにも喧しいのでコイル式の外付けに換えたほどであった。
ドイツや大連などの外地での生活が身に就いていたせいか、押入れは風通しが悪く不衛生になり勝ちとの考えから余りなかったようだ。
ドイツ語、英語、フランス語、エスペラント語にも堪能で科学一辺倒ではなく漢詩にも造詣が深かったようだ。幼少の頃、音楽の先生から「数学が得意な君は音楽家になったら良いのに。」と言われたそうで、ご本にも娘達のピアノを指ではじいて楽しまれていたそうである。
篆刻は玄人はだし。友人や子供達へそれぞれ個性溢れる文言が隷書や篆書体で刻まれ贈られている。家庭で過ごす時間はそう多くはなかったようであるが子供たちは夕食後「お話」をしてもらうのが楽しみであったと聞く。(六女尭子氏談)
母・さき 喜寿
妻・文 80歳(櫻井錠二次女)
昭和23年1月10日没(享年85歳)
鈴木庸生と家庭 |
昭和49年2月17日没(享年84歳)
昭和15年撮影 63歳